供養の本質は…
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2020.06.13
このところ従業員の家族に不幸が重なり、何とも言い表せない気分です。
葬儀に参列させてもらいましたが、斎場に新型コロナウイルスの感染防止対策を取らなければならず、会場に入れる人数を極力減らさなければいけなかったり、御焼香に並ぶ際も、広く間隔をあける必要がありました。
家族にとって、最期に残されたお別れの時間なのに_距離を取らなければならないなんて_
その中で、式の終わりに法師がこんなことを話してくれました。
「今のご時世では、早々集まることは難しい。初七日、三十五日、四十九日など『七』にちなんだ日に、離れていても、南無阿弥陀仏でも南無妙方蓮華でも、“なんでもいいから、故人が生前に見せてくれた良い顔を思い浮かべながら祈ること”、それが供養になりますから」_と
思うようにいかない場面は、今だけではなくこれからも続くことでしょうし、新型コロナウイルスだけではなく社会全体にいえること、そんな時こそ『何が大切か⁉』を見失わないようにしたいです。弔いの本質を説いていただけたことに感謝します。。