…を聞く
2021.07.07
人に何かを注意したり、叱責したり、たしなめるのはとても難しいことだと思います。それはやはり相手の言動には、その人なりの動機があります。また、そこに感情や想いも重なっているので、おいそれと注意や叱責すれば相手の感情を傷つけてしまうというところが難しさの要因でしょう。そして社会生活には年齢や立場なども複雑に絡み合うので、出来ればそういう場面は少なくありたいものですね。
先日、管理者Wと今後の人員配置の打ち合わせをしていたのですが、私の意見があまりに偏り過ぎていたので、Wから「お言葉ですが…」という前置きはありましたが、偏り過ぎていた私をたしなめる内容の“苦言”を言われました。
私としては従業員に対する想いのうえで自分の考えを述べていたつもりですが、Wの“苦言”で一旦立ち戻って考えてみると…確かに(ずいぶんと)偏り過ぎていたと思い直すことが出来ました。正直なところ“苦言”を言われた瞬間は、少し複雑な気持ちになりましたが、偏り過ぎている私に“苦言”を言おうとしたWの気持ちの方がはるかに重く大変だったことが容易に想像出来ます。
これ、実は…私は以前にもWから“苦言”を言われていて、2回目なんです。Wがそういう“苦言”キャラか!?というとそうではなく、普段は私の考え(複雑でわかりにくい)を正面から良く理解してくれ、あまりに正面から取り組み過ぎて、よく壁にぶつかっている人なんです。
あらためてWの想いと勇気に感謝です。
また、私のような“苦言”を言われる側にも、自分の複雑で嫌な気持ちを抑え、冷静になって“苦言”に耳を傾ける器量と、“苦言”を受けて考え直したうえでも自分の考えが正しいと思えるなら、きちんと説明し理解を得る努力を怠ってはいけないとも思います。
それよりも前に、私は”苦言”を言われないように努力することが先のようですが…